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秋田・田沢湖編2へ

2002年晩夏、博物館と湖秋田・田沢湖編

 

 旅のきっかけは、このホームページで、東北地方と中部地方だけがまだアップされていないなぁと思ったところからでした。で、当初は青森や山形、新潟なども候補に上がっていたのですが、ぐずぐずしている間に、バースデイ割得用の残席が無くなってしまい、かろうじて残ったのが、秋田というわけでした。 時刻表を見ていると、午前10時頃に秋田に到着、午後7時頃に出発と、向こうでの時間を有効に使えそうなダイアになっている様です。
 ということで、とりあえず行先のみ決定。後は向こうについてから決定することにしました。

 当日、午前9時10分出発といつもより遅いので、のんびりと自宅を出て、大阪空港を目指します。バースデイ割得のため、自動チェックイン機は、利用できませんので、普段より10分程度早めに空港に到着し、手続きを済ませました。出発が1時間ほど遅いだけなんですが、空港カウンターは、随分と余裕がある様に思いました。往復の座席指定を事前に受けていたのですが、復路分の座席指定を解除し、新たに翼のかからない座席に振り替えて下さったのは、ちょっとしたことだけれども、嬉しいサービスだと思いました。

 前週の青森や北海道の気温からは、考えもつかないぐらいの暑さに驚きつつ、空港バスで秋田市内を目指します。このときには、翌日、田沢湖へ向かう心づもりができていましたが、今日の予定は、まだ、なにも決まっていません。以前にやってきた時の記憶が、少しずつよみがえってきます。以前は正月だったために、一面の雪景色で、このあたりも真っ白だったなぁと思いながら、暑そうな日差しの田園風景を眺めています。
 空港バスなだけあり、車内放送ではホテルの案内があり、各ホテルに最寄りのバス停を案内しています。今回、ワシントンホテルに宿泊する予定でしたので、日本交通公社前のバス停ということはわかったのですが、そんなに早くにホテルへ向かってもしょうがありません。ホテル周辺には城跡の千秋公園というのがあるのですが、こちらは、前回訪れた時に立ち寄ったため、別の場所にしようと思い、とりあえず除外。

 

 秋田旅行の情報を集めるには、やはり駅で降りるのが一番ということで、秋田駅で下車することにしました。秋田駅のバスターミナルは、あまり大きく無いものの、タクシーが沢山停車しており、バスもひっきりなしに発着しており、活気があるといった印象を受けました。きつい日差しをよけつつ、駅舎にあがり、観光案内所を目指します。
 改札口前にある観光案内所で手頃なパンフレットを見つけ、ざっと目を通します。ちょうど、秋田市の端にあたるのか、パンフレットの端の方に、小泉潟公園というのを見つけました。秋田県立博物館や日本庭園といったものもあるということで、なかなか見どころ満載だろうということで、そちらに向かうことにしました。
 列車の時刻を見ていると、発車まて30分といったところで、そんなに悪くありません。運賃も230円と手頃な価格です。

 秋田駅の改札口は、どちらかというと、狭く、秋田新幹線の開通の影響で、在来線と新幹線で通路を半分に仕切っているため、より一層手狭に見えます。ホームに降りると、電車が入っており、客待ちをしていました。その横で、駅弁の立ち売りがあり、気になったのですが、停車している電車が、ロングシート車でかつ、羽越線からの乗り継ぎ客なのか、事前に席取りの荷物が沢山置いてあり、座る場所がなく購入を断念。ちょうどお昼時なので、いいかなぁと思っていたのですが、残念な結果です。今、考えれば駅弁を別に電車の中で食べなければいけないわけではなく、それをこれから向かう小泉潟公園なんかで食べれば、それはそれで良かったんでしょうけど、なかなかそういう発想が浮かびませんでした。

 2両編成の軽快列車は、土崎、上飯島と停車、小泉潟公園の最寄り駅にあたる追分に停車となりました。追分駅は、男鹿線との分岐駅で2面3線のホームを持ち、男鹿線の起点駅の雰囲気はあり、駅員常駐でかつ売店もあるので、主要駅である感じがします。しかし、この日は売店が棚卸しとかで閉店しており、駅舎の待合室もガランとした様子で、駅前はこれまた何も無いといった雰囲気でした。
 追分駅で小泉潟公園への道筋を書いたパンフレットをもらって、その地図に合わせて歩き始めます。道路も主要道路は広いものの、そうでは無い道路は狭かったりと、北海道のそれとは少し違う様です。山が近い雰囲気がするのも、本州らしい雰囲気なのかもしれません。気温は、とにもかくにも、高く、ジリジリと私の肌にあたってきます。

 地図にある通り、線路沿いの道を歩いて、突き当たりの踏み切りをわたります。大きな公園が近いはずなんですが、それらしい雰囲気はあまり無く、人通りや車通りもさびしい限りです。あまり、利用者が少ない公園なのかな?と不安に思いながら、小泉潟公園を目指します。農業高校の前を通ってしばらく行くと、小泉潟公園の入り口になりました。期待していた公園とはちょっと趣が違う様で、どちらかというと、整備している様でしていない、木々が鬱蒼とした公園といったイメージです。

 公園の入り口から、少し入ると、大きな駐車場が目に入りました。こちらが小泉潟公園の駐車場の様で、駐車場の規模はなかなかなもの。ただし、車はほとんど駐車されていませんでした。その奥に博物館があるそうで、この県立博物館は無料で観覧できるということでしたので、涼を求めがてら、入館してみることにしました。

 さすがに県立博物館というだけあり、天井も高くゆったりとした雰囲気です。この県立博物館、現在リニューアル工事中で、本来の中心施設になる部分の第一展示室〜第三展示室が本年度と来年度は閉鎖しています。しかし、秋田の先覚記念室と管江真澄資料センターの2カ所は開館していました。まずは、普通の展示室の雰囲気が漂う2階の「秋田の先覚記念室」の方に向かいました。ここは秋田県の名士にスポットをあてた展示スペースになっています。一人一スペースといった感じで写真と功労ならびに説明、そして生い立ちについて丁寧に展示されていました。が、困ったことに全てが同じ感じですので、掘り下げることができず、かつ紹介されている人の数も多いので、最初から最後まで丁寧に見ることは、私には出来ませんでした。私は展示されている方々の1/3程度しか見ていない様な気がします。後半は、「ざっ」と見流したといった感じでしょうか。

 結局、30分程度でリタイアして、今度は1階の「菅江真澄資料センター」へ移動しました。こちらは、資料センターという名前から、てっきり図書室みたいなものをイメージしていたのですが、どちらかというと、こちらの方が博物館らしくいろんな展示がありました。菅江真澄という紀行家にスポットを当てた資料室なんですが、この人の生い立ちならびに紀行文に沿って当時の日本の風景がわかる様な展示無い様で、随分と興味を引きました。
 ということで、かなりじっくりと映像による説明などを見ておりました。意外と盛況でお客さんは次々とやってくる様子ですが、あまりここまでじっくりと見ている人はいなかった様です。江戸時代のあまり旅行というか、移動すらままならなかった頃に三河の国から蝦夷地まであるいて周り、紀行文を書き残したというのは、なかなかすごいことだと思いました。でも、なによりも興味をひいたのが、この旅好きの菅江真澄翁のスポンサーたる人がいたということです。言ってみれば道楽で旅をしているわけですが、お金に限りはあるわけですから、スポンサーがなければやっていけないはずですよね。そのスポンサーを探し、スポンサーにとってよほど魅力ある人間であることが菅江真澄のすごいところでもありますが、当時、よくわからぬ旅人に旅の資金をポンとだす人もいたもんだと驚くばかりです。

 

 

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